2004.10.15

「色彩と幻想の画家エミール・ノルデ」展行ってきました

さる10日の日曜に、東京都庭園美術館に「色彩と幻想の画家エミール・ノルデ」展&講演会「色彩の嵐・絵画の嵐−ノルデはどのように受けとめられたのか」を観に行ってきた。

講演会の定員は250名と聞いていたので、入口で受付の方に「入れますか?」と尋ねたら、今日は比較的空いているから大丈夫とのこと。
ところが、いざ展示室に入ってみると、なんだ結構キツキツじゃん!
#じゃ、混雑している日はもっと凄いんかい...(激汗)

しかし、比較的サイズの小さい水彩作品を中心にしながらも、展示のボリュームには圧倒された。
彼の画業と作風の多彩さを表現するのには、十分な量、また質であったと思う。

とか言いながら、私が展示の中で一番ひかれたのは、やっぱり木版画(爆)。
単純化された力強い刀使いに、たっぷりの黒インクで(いや、刷りに使った色材は分かりませんが・汗)これまた力強く刷り跡の生々しい画面に、熱く萌えを感じてしまいました。
#ノルデの観照態度として、それでいいのかお前は!という非難は、甘んじて受けますが...
しかし、いろいろな技法や描きかたを展開していても、そこに一本貫かれた「ノルデらしさ」がつねに感じられるのが、講演会で水沢勉先生もおっしゃっていた、彼のデッサン力がなせる技なのだろう。

講演会では、展示会場では見られなかった作品の画像もスライドで見られ、ノルデの多彩なスタイルや活動の変遷、また退廃芸術運動の実際が説明され、大変おもしろかった。
ノルデの研究やコレクションは、日本では比較的多いのに、フランスやイギリスではあまり知られておらずコレクションもほとんどない状態だという説明に、ヨーロッパの歴史の複雑さを思い知らされた。

全体には充実した展示で、図録のデザインも素敵だと思う。
惜しむらくは(また文句たれ)、他でも指摘されているとおり、やむを得ないとはいえ会場の照明が暗く、原画本来の色(という言い方も色彩学的には変だが)が分かりにくかったことだ。
また、展示の構成が幾つかのコンセプト別に分かれていたのだが、制作年代の整理が甘く、作品の時系列的な関係があいまいに感じられる点(もっとも、水沢先生は、ノルデの描きかたはある時点で確立されていたので、時系列はあまり問題ではない、という旨のことを話されていたが...)。

あと、講演会の質疑応答で、当時のドイツの社会思潮と絡めてかなりコアな質問をされていた方がいて、個人的には、その筋に暗いにしてもかなり興味深い問題提起だと思ったのだが、私の近くにいたある二人は「をいをい、そんな難しい話されても(苦笑)」という風情だった。
今回のように聴講人数も多く、どんな背景を持った人が来るのか予測不可能な講演の場合、その満足度をどう設定しておくか、難しい問題だにゃ〜と改めて思った次第でありんす。

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2004.09.23

「色彩と幻想の画家エミール・ノルデ」展

前にちらと書いた『ヒトラーと退廃芸術』のなかにも「退廃芸術家」としてその運命が書かれていた、画家「エミール・ノルデ」の展覧会が、東京の庭園美術館で開催中です。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/

(どうも巡回展で、あちこちを回っているみたいなので、もうご覧になった方も多いかも)

ノルデの人物や作品など、相変わらずの不勉強で、『ヒトラーと...』の前までろくに知らなかったのですが、折角お勉強をした機会でもあるので、時間を作って観に行こうと思っとります。
特に、10月10日(日)にある「色彩の嵐、絵画の嵐ーノルデはどのように受けとめられたか」という講演会は、退廃芸術問題とも関連ありそうなので、この日に併せようかな。

前の「ロシア・アバンギャルドの絵本」展を、行かねばねば〜、と思いつつ思いっきりぶっとばしてしまったので(泣・図録は本屋で買ったけどね)、今回こそは面倒くさがらず忘れずに...。

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2004.08.15

朝までアテネ五輪開会式(で時差ボケ)

ドーピングで大モメ続出とか、工事で死傷者続出とか(合掌)、スポーツにかこつけたナショナリズムの押しつけはうざったいとか、何より野良犬数百頭殺しは「もんもんい」として許せない〜!!!!(大マジ)とか、個人的にはツッコミたいとこ満載で始まった、今回のオリンピック。

でも、白状します、あのセレモニーには、ヤられました、すんません...。

私の感想では、夏冬合わせても、最近の内で出色でした。
人海戦術で「おにぎやか〜」というパフォーマンスが多い中、際だってました、あの静的というか、内省的な構成は...。
それに何より、西洋美術史オタにはたまらんツボ、満載だったんだもん〜。

古代彫刻に数学の定理が映し出されて(ツボ)、その彫刻が解体して造形力の進化を表現し(萌え〜)、さらに古代壁画を立体化してギリシャ史を展開(すげー)、とかとか、もう、普段まばたきが多いと指摘される私も、回数著しく低下。

もともとおいら、古代モノの心得はかなり怪しかったんですが、偶然にも、去年のある通信課題をやるのに、西洋美術史の総まくりをする必要があり、ヨーロッパ美術の流れは勿論、古代ギリシャ・ローマ哲学や、西洋思想史まで、さわりだけですが、おさらいしてたんです。
その勉強が、1年後こんな形で生きるとは...(笑)。
まったく勉強ってもんは、いくらやっても損はないもんだな〜、と思いを新たにした、昨日の夜明けでした。
というわけで、カテゴリも敢えて「文化・芸術」でおねがいします。

#その後大爆睡して、夕方もずっと時差ボケだったから、この話題も、旬をとうに過ぎた今、書いてるわけですわ、はい。

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2004.07.16

アートマネジメントと球界再編問題をむりやり?くっつけて考えてみる

当blog左にも書いたように、近鉄の吸収合併と、それに伴う1リーグ制移行云々の問題は、いち野球ファンとして、また小市民としても、寂しくまた何とかしたいと思う状況だ。

「野球ファンとして」はともかく、「小市民としても」と言うその心は、周知の通り、民草の小さな声が完全無視されたまま、ごく一部の権力者がなし崩し的に重大事を決めてしまう暴挙、それが、国会や政府やそんな場所ばかりだけでなく、スポーツの現場でまでも行われ得る現実を、眼前に突きつけられたことへの、悔しさと無力感である。

合併/リーグ編成についての論調はいろいろあるが、多くに共通しているのは、「プロ野球は大衆『文化』だ」「『文化』を企業の論理だけで語るのはおかしい」という点だ。
インチキながらも文化学徒の私としては、一旦『文化』ということばを聞いてしまった限り、この問題を、いわゆる「文化支援」の問題と絡めて考えぬ訳にはいくまい(笑)。
そうすると、企業による芸術支援の諸問題も、構造的には、プロ野球興行と多くの共通点が見られるのに気づく。
ちょっと話が行ったり来たりするかもしれないが、おつきあいいただきたい。

たとえば、既に死語登録も済んでいそうな(...)「企業メセナ」ということばだが、私が芸術支援を初めて志した、1990年頃には大ブレイクしていた。
この時期に多くの企業美術館、企業ギャラリーなどが出来たが、90年代後半の不景気のなか、揃って大撤退。
(関東でいうと「デパート美術館」の運命を見れば明らかでしょう)
今野球界で論議されてる「縮小均衡」な状況になってきた。
決して「東京都現代美術館」や「ジブリ美術館」のようなハコが出来たから、客をそっちに取られて立ちゆかないとか、そういう過当競争ではなく、おそらく純粋に縮小しているのだ。

美術館が閉鎖されれば、市民はそのコレクションや企画性に触れる機会を失い、学芸員他のスタッフは、その職を離れざるを得ない。
ナベツネ(今更伏字せんぞ)が「たかが選手」と発言したが、美術に置き換えりゃ、企業のトップが「たかが美術作品」「たかがコレクション」「たかが美術研究者」と言っているのと同じことではないか。
もちろん、美術館の閉鎖自体、結果的に、こうした考えがどこかにあったことを裏付けている。

大阪ドームを始めとした「球場使用料」の問題にも、似たものを感じる。
例えば昨年「東京都現代美術館」でジブリ展が開かれたが、このように、自主企画展でなく、持ち込みの企画と共催するような形をとる展覧会(春の「ディック・ブルーナ展」もこの系統かと...)が結構多い。
館の負担を少なくしつつ、大きな収益が見込めるこうした展覧会を呼ぶことは、球場で展示会やコンサートを開催して、球場自体の収支を良する営業努力に通じると思うのだが。

野球は確かに「国技」と言われ、数十数百億の金が動く世界なので、これだけ社会的に大きく取り上げられ、国民的議論にまで高まっている。
しかし、その影で規模こそ違えど、同じように企業から見放され、縮小していく『文化』の業界がある。

では、美術文化はもうおしまいなのか?アーティストは行き場がないのか?と言われれば、やり方は、ある。
企業や自治体の支援を十分に受けてでなくても、でっかいハコがなくっても、いわゆるオルタナティブな、インディペンデントな形で、地域に根ざした活動を行うことで、新たな美術活動や、美術館(最近は、コレクションよりも活動を重視した「アートセンター」的な機関も多いが)のあり方を模索しているのが、さいきんの美術界の傾向だ。
マスな形のアートイベントでなくても、小さなイベントでも、やり方次第で、確実に参加者の心に残るものを作れるはずだ。

同じように、今、プロ野球なり、野球界全体に必要なのは、そういうオルタナティブな発想ではないだろうか。
先に書いたように、そりゃ事業規模やらかかる経費やらが全然違うから、強引に比べることはできない。
ただ、親会社にとっての球団とは、企業における美術館と同じく、単なる事業部ではなく、社会的機関なのだ。
球団経営に、文化支援活動の「ファンドレイジング」のような、幅広い資金集めの方法を画策したり、選手やファンの意見やアイディアをもっと取り入れてみたり、球団に関わる誰もが、「自分も球団の一員である」という意識で、球団という『文化機関』を維持発展させるために身を切る覚悟がなくてはならないだろう。
ドーム球場じゃなくてもいいじゃない、藤井寺でも、浦和球場でも、どこであろうと楽しく魅力的な「おらが球団」の野球をやったり観たりすること、それが全ての基本ではないかと思う。


...本筋とは関係ないが、もうひとつ。
ナベツネが「1年協議しろだ?100年協議しても決まらんよ」と言ったが、これが「みんなの意見を聞いていたら絶対に決まらない」という意味で言ってるのであれば、個人的には大問題だ。
これは私が常々言う持論だが「一枚岩ほど危険なものはない、バラバラでまとまらないことが、大切な時だってある」と思っている。
ましてや、ものごとを話し合って決めるときに「決まらないことが恐いので、話し合いできません」なんて、こうして字面にしてみれば、とんでも大矛盾ではないか。
だいたい、冒頭でも書いたとおり、「決まらないと困るので話し合わずに決めてしまおう」といって決めたことに、ろくなことはない!!(笑)
本当に野球のことを真剣に考えているなら、精魂尽き果ててぶっ倒れるまで、話し合ってみるのが、筋ってものじゃないのか。
そんな覚悟のあるファンや選手は、沢山いるのに、肝心な人たちが、その気にならないんだから困る。

さらに余談。
美術館で大きな巡回企画展をするときの協賛って、大抵「新聞社」が付いてるんだな(苦笑)。
それは、前に書いた『ちいさな箱 鎌倉近代美術館の50年 1951-2001』
http://gozar.cocolog-nifty.com/meongmoengi/2004/05/_50_19512001_.html
に、60年代、大規模な展覧会をするために編み出された手段だった、という話が載っているので、まあ少なからず社会文化の役にもたっているわけですが、某新聞社もね。

もいっこおまけ。
よく見れば、全然具体的な提案がない文章なので、ひとつ具体的なことを。
オーナー陣が企業の論理で球団を圧迫するなら、逆に「球団が減ると困る企業」の方から、声を挙げてみてはどうだろうか。
例えば、野球用品メーカー。
業界が縮小均衡になれば、当然その影響をもろに受ける。
プロ選手が減ってしまえば、オーダーも減るし、技術の蓄積もできない。
アマチュアや学生層まで縮小すれば、将来の需要も減る一方。
同じ企業同士という立場で、なんとか球団親会社の動きに歯止めをかけるなり、選手会をバックアップするなりしてほしいものだ。
以上、デザイン業界が不景気だと商売あがったりな、もと画材屋勤めからの率直な意見でした。おそまつ。

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2004.07.07

「タウトが見たもうひとつのニッポン」展と関連講演

かな〜〜〜り前の話で恐縮だが、去る6月11日、早稲田大学中央図書館で開催されていた「岩波書店所蔵ブルーノ・タウト資料より『タウトが見たもうひとつのニッポン』」展 を観に行った。
http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/taut/

正直、私自身はこれまで、タウトに特別な関心があったわけではない。
タウトに関する本格的な文章を初めて読んだのは、通信のテキストでだった。
私が所属するコースの主任教授が、タウトの研究をライフワークのひとつにしている方で、教科書のなかにタウト研究の小論文を載せていたのだ。
(これで、分かる方にはどなたかバレバレですな・苦笑)
で、その先生か展示のキュレーションをなさっているということで情報をいただき、観に行ったわけだ。

会場の早稲田大学中央図書館は、都電の早稲田駅からすぐのところにあった。
ずいぶん新しい建物だぞなもし〜、と思って館内に入る。
どうでもいいことだが、早稲田のキャンパスに入るのは、17年ぶり2度目(笑)、ちょっと自分がモグリな気分(謎)。

展示室自体は意外に小さかった(すんません)が、貴重な資料が多くて、中身の濃い展示だった。
岩波書店に保管されていたタウトの日記や写真類が、タウトに縁の深い群馬県の、創造学園大学で「ブルーノ・タウト記念館」として展示されるとのこと、
http://www.tacc.ac.jp/souzou/taut.htm
その前の整理として、以前にまとめられた目録と、現在ある資料との照合、また各資料の分析が行われ、今回の展示もその成果の一部だという。
会場は、お年の方から早稲田の現役学生さんらしい方まで、常時4〜5人が入れ替わり来場していた。
女の子二人が、ベス単を見て「かわいい!」、タウトが撮ったハチ公の写真を見て「あっハチ公だ!」と感激していたのにプチウケした。

主な展示物は、タウト来日〜離日までの記録と、直筆ノート、スケッチ類、写真(ベス単でスナップ的に撮ったものが、ものすごい数残っており、それらの整理と分析が今後も大きな課題らしい)だったが、それらが、彼独自の視点を端的に見せてくれていた。
彼の覚えた日本語で、よく使っていたのが「いかもの」(笑)
日本で見聞した何が「いかもの」で、何がそうでないのか、タウトの日本観、また関心の傾向が、今見直すとなかなかに面白い。
#料亭の内装はまだしも、羽子板までが「いかもの」と言われてしまっていたのが、わし的にはツボ(爆)。
それらを、スケッチを交えて絵日記風につづっているので、展示されている文章の日本語訳と、スケッチを照らし合わせてみると、とてもよくわかる。

また、展示の中で興味深かったのは、会場で配られていた資料目録中のテキストでも触れられていたが、『ニッポン』が、戦時中にも関わらず(昭和18年まで!)何回も改訂され重版されていることだ。
ご存じの方も多いと思うが、『ニッポン』や『日本美の再発見』に見られるタウトの日本文化論が、当時(昭和10年代、ってやつですね)の日本社会において、「特定の政治的意図」をもって語られていたことを考えると、あの紙不足な時期に出版され続けた事情も、察せられよう。

他にも、タウト自身の資料ではないが、立原道造がタウトの講演を聴講したときの「タウトノート」が、個人的にはとても目を引いた。
開国から60年くらい(講演は1934年)の日本社会で、読まれる「本」の形態が西洋化したのは周知のとおりだが、同時に「紙にものを記録するときの<書き方>」まで、ここまで西洋化、というか、モダンになるものなのかな、と、妙な感心をしてしまった。


翌日12日の土曜は、「早稲田大学美術史学会」というところで、先生が今回の展示に関して、発表をされることになっていた。
私も「場違いくん」(汗)は承知の上で、聴講に行ってみることにする。
会場は、文学部のキャンパス。展示のある図書館とは、ちょうど正反対なので(苦笑)、東西線の早稲田駅から行く方が早い。
#それにしても、私の前の?母校もそうだが、最近の大学はどんどん建物が高層化して、きれいになっていくなあ、もっと驚いたのは、その新しい建物を、学生がまたきれいに使っていること!サークルのポスターやビラも、ちゃんと決められた場所に貼ってるし。
一見、秩序をよく守ってやってるように見えるのだが、これってもしかして、単にビラを貼りにくい環境を作って、環境によって無意識のうちに統治されてる、てことだろうよ?なんて邪推(いや、自分的には確信大ありだけど)をしてしまうのだが。

話が大きくそれてしまったが、まあそうこうしつつ、その前の発表が終わるのを待っていた。
この学会発表では、それぞれの発表に相関性があるわけではないのだ。
前日には、3時半くらいから先生の発表が始まると聞いていたのだが、結局大きく押して4時の開始になった。
会場は、いかにも研究者然とした方から、先生が早稲田で持っている授業の生徒、武蔵美の方も来ていたようだ。あまり大きい教室ではなかったが、聴衆は7、80人はいただろうか。

この発表は、『ニッポン』に、本来タウトが掲載しようとしていた写真の候補を、本人の意図(と思われる)とおりに並べ直してみる試みだった。
MacOS Xの「iPhoto」と「Acrobat」を使って、その写真をプレゼンしていくのだが、研究室が「Mac博物館」と化している先生(もう隠し通せないっす、S先生っ!)。
さすがにOS Xも導入し、しかもこの「iPhoto」ってのは随分便利そうだなと、本筋と関係ないところでひそかに感心してる私(汗)。
本の本文と図版(写真)の関係によって、本の表現する内容が変化してしまうこと、またその中にいろいろな「編集性」が絡んでくるのだと、端的に感じさせてくれる発表だった。
また、『ニッポン』の昭和16年版の日本語訳が、『日本美の再発見』から影響を受けて改訳されていたのではないか、という推論は、展示の項でも書いた「タウトの日本観を政治的に見る」視点からも興味深かった。


最近、このblogでも、モダニズムがプチブームになっていて、何度か書いてもいるが、これをきっかけに、新たな視点として、戦前の円本や全集のブームのなかで、原本の図版がどのように扱われてきたのかなど、またまた関心が湧いてきた。
また、展示の方では、高崎などで工芸指導をしていた彼が、当時の日本の工芸、また民芸運動などをどのように見ていたのか興味深い。
#なので、展示テーマの本筋でないと思いつつも、タウトが日本で作った工芸品も展示されていると、さらに良かったのになあ、と思う私...。
折角の機会なので、これからもネットや本などで、タウトを調べていくことにしよう。
それにしても、モダニズムといっても、長い日本史の中で、まだ7〜80年前のことなのに、忘れ去られたこと、依然不明なことがこれほどに多いとは...。
モダニズム、奥が深いぜ。

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2004.06.28

「Co-responses on borderline─境界線上に立って、互いに応答する/日韓女性のアートと心」

6月27日、前日に続いて「Borderline Cases - 境界線上の女たちへ」展の関連シンポジウム
「Co-responses on borderline─境界線上に立って、互いに応答する/日韓女性のアートと心」
が開催された。

会場の慶應義塾大学の三田キャンパスに着いたら、東側の入口が新しくなっていたのにちょっと驚いた。
が、そんなの眺めてる場合ではない、また時間に遅れているのだ(汗)。
が(笑)、結局20分くらい遅れてスタート。
トータルで70名くらいの聴講者がいただろうか。

司会とパネリストのみなさんは、下記の通り。
(サイトから引用)============
●司会・提題 嶋田美子(慶應義塾大学文学部講師/インスタレーション・版画作家)
●開催挨拶 前田富士男(慶応義塾大学文学部教授/美学美術史)
講演 
●レベッカ・ジェニスン(京都精華大学教授/女性学)
●池内靖子(立命館大学教授/演劇論)
●李静和(成蹊大学教授/政治思想)
パネル討論
●パク ヨンスク(写真家/韓国)
●ユン ソクナム(木彫作家/韓国)
●イトー・ターリ(パフォーマンスアーティスト/日本)
●笠原美智子(東京都現代美術館学芸員)
============

さて、最初の講演は...、と、前日のように概要を説明したいところなのだが、実はそれどころでは無くなってしまったのだ。
会場で、前日道であった梨花女子大のお二人に、通訳が付いていないということがわかり、なりゆきで、急遽即席通訳をすることになった。
しかし、講演者が、日本語の資料を朗読しだしたり、「それでは引用の11を見てください、ここには...」と思ったら「もういちど引用の6に戻って...」みたいな語りのスタイルだと、こっちも資料見て訳して...ってやっていたら、訳がどんどん遅れていく〜!!(激汗)
しかも、私の知らない用語や、ハングルでの漢字語の読みが分からない熟語、知らない人名がわんさか出てきて、浅学の内実がバレバレでボロ出まくり(ベンヤミンのテキストが出てきたので訳したら、おひとりの専攻がまさにベンヤミンだった...ーー;;)、全然訳せない、半分勝手にあきらめ状態...。
それでも、お二人が「役に立ちましたよ」とお世辞にも言ってくださったので(汗)、ちょっとだけ救われた。

レベッカ・ジェニスンさんは、展覧会のテーマから、現在の世界の閉塞感、メディアの情報操作、大国主義への警告を、故テレサ・ハッキョン・チャの著書『ディクテ』や他のテキストの引用を用いつつ論じられた。
池内靖子さんは、この『ディクテ』の日本語版訳者であり、彼女の制作活動についても大変お詳しい方なのだが、チャの制作手法や、未完であった作品、影響を受けた映像作品などについて、まさに詳しく説明された(いや、聞いているだけならとても滋養になったであろう内容なのですが、通訳は大変でしたです。はい。)
李静和さんは、前日のオープニングを見た印象、またそこから想起された、自らの両親の歴史を語ってくださった。
会場のギャラリー「A.R.T.」の中で、女性の身体に入っていくような感覚を覚えた、これこそまさに「境界」なのだと感じた、と話しておられたのが印象的だ。

しかし更に問題が。
最初のお3方の講演だけで、早くも4時前!(汗)
パネル討論って出来るのかい?と思ったら、パネラー4名と、ゲストの韓国フェミニスト団体の方(お名前と団体名失念...分かり次第フォローします)のスピーチだけで、もう時間切れ。
でも、みなさんの挨拶がそれぞれにとても印象的で、展示を観ている人ならば、それでもう十分という感じになっただろう。
特に、イトー・ターリさんの、今回のパフォーマンス作品を作るまでの過程の話、ユン・ソクナムさんの、「こんなに予算のない展覧会は初めてだが、逆に開催までに向けたスタッフのエネルギーを強く感じて、この環境で展示が出来たことに感謝の気持ちを覚える」ということばが、心に残った。

この手のシンポジウムでは、会場が喧々囂々となるとか、ばっさりと尻切れトンボになることも少なくないのだが、今回は、会場一同が、何とはなしに共感の輪につつまれる...、という雰囲気ではなかったろうか。
#いや、単にツッコミどころが見あたらなかっただけかもしれないが(汗)。
それはそれで、今回のような、日韓や、またジェニスンさんのような研究者、アーティスト、活動家(変な意味でなく^^;;)の出会いと交流の場としては、十分その役割は果たされていたのではないかと思う。

それにしても、テレサ・ハッキョン・チャのことを、パネラーの誰もが口にしていたが、正直これまで殆ど名前を聞いたことがなかった。
しかし、この展示とシンポを通じて、その作品や生涯はとても興味深いものがあるらしいと分かったので、これから機会あるごとにいろいろ資料に当たってみようと思う。


#シンポジウムの本筋と関係ない話での感想だが、久しぶりに大量通訳して普段使わぬ頭をフル回転で使ったり、いろんな人と話してみて、とても楽しかったけれども、すこし疲れてしまった。
こんな貴重な出会いの場を、でっかくがっちりと受け止めて消化できる、体力的、精神的なパワーを持てるようになりたいものだ。

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2004.06.26

「Borderline Cases - 境界線上の女たちへ」展オープニング

今日は、表題の通り「Borderline Cases - 境界線上の女たちへ」展のオープニングイベントがあり、私も行ってきた。

オープニングパフォーマンスは夕方5時からだったのだが、家を出るのにもたもたしてしまい、会場のある恵比寿の駅に着いたのがちょうど5時...。
あわてて駒沢通りを小走りしていたら、地図を見ながら歩いている、韓国人らしい女性の二人組がいた。
「いっしょに行きましょうか?」
と声をかけ、話しながら歩いていると、ひとりは梨花女子大の研究者、もうひとりは「韓国女性映画祭」の企画をされている方で、出展作家のパク・ヨンスクさんのお友達だった。
わし、気軽に声かけすぎ...(汗汗)。

会場の「A.R.T.」に着くと、もう最初のイトー・ターリさんのパフォーマンスが始まっていた。
パフォーマンスの内容や印象を、文字で書くというのは難しいのだが、人の内面にある恐れやとまどい、ユーモアや怒りを感じさせてくれる、すばらしい構成だった。
少し間をおいて、高橋芙美子さんのパフォーマンス。
自分の体の部位を、紙で魚拓のように取っていき、それで身体像を構成し、最後にトルソと自分の体をギャラリー前の路上に、ディスプレイのように晒す。
そこはかとないユーモアとアイロニー、毅然さが印象にのこるパフォーマンスだった。

地下のパフォーマンス会場を片づけて映像作品を設置している間に、1階ではパーティが始まった。
写真家のパク・ヨンスクさんを紹介されたが、この方、実は私が留学時代、ソウル市立美術館(移転前)で行われた市民講演会で、講演をされていた方だった!
そのことに気が付いて、お互い「縁が深いですね〜」と大笑い。
大変気さくで明るく、周囲の雰囲気を楽しくしてしまうパク・ヨンスクさん、ますますファンになってしまった。
今回は、尹錫男(ユン・ソクナム)さんも来場されていた。木像の作品は有名だが、今回「母は19歳」というドローイングと文章を合わせた小品のシリーズも出品されており、それがとても心を打った。

出光真子さんの映像作品は、太平洋戦争時代の映像を使いながら、この状況を現在の日本社会の危うさと重ね合わせて見せている。
映像を観ること自体ももちろん、少し下がって、映像と、それを観る人たちの影を一緒に観ると、まさに「過去」と「現在」の関係性を表したインスタレーションのようにも見える、さまざまな意味を感じさせてくれる作品だった。
嶋田美子さんは、今回は「家族の秘密」というテーマで、来場者が自分の家族の秘密をこっそり書き(もちろん個人を特定できる表現は外して)箱に入れ、作家がそれを定期的に開けて、メッセージボードとして制作し引き出しにしまっていく、という作品を出している。
正直、嶋田さんの作品には、ちょっとストレートすぎて、いわゆる「右脳」より「左脳」で観てしまうような印象を持っていたのだが、今回のような参加型の、これから動き始めるような作品は、なかなかに面白そうだ。

あまり大きくないスペースで、参加者も女性が、また日韓に関わりのある人が殆どだったのだが、会場はなかなか盛り上がっていて、明日のシンポジウムも楽しみだ。
今日はひとまず第一報でこのへんで...。

#個人的にも、久しぶりに韓国語たくさん使って、いろんな人と話せて楽しかったな。
ご覧の通り、最近ブルーになることが多いのだが、前向きな気持ちになれた1日だった。


展覧会情報のURL:
http://home.interlink.or.jp/~reflect/borderlinecases/

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2004.06.10

「Borderline Cases - 境界線上の女たちへ」展のお知らせ

えー、日韓の女性アーティスト7名による企画展「Borderline Cases - 境界線上の女たちへ」のお知らせをば。

前にちらと書いた、私のお世話になっている「お姉さん」が企画に入っておられまして、私も不束ながらお手伝い(おじゃまか...)をさせていただくことになりました。

韓国からの出展作家のなかでも、尹錫男さんは、96年に国立近代美術館で開かれた「90年代の韓国美術から — 等身大の物語」展にも出展されているので、作品をごらんになった方もいるかもしれません。
またパク・ヨンスクさんは、2002年の「光州ビエンナーレ」のプロジェクト3に、「マッド・ウーマン」という写真シリーズを出展されています。
今回も、期間中に日本で制作を行うそうです。

会期中には、パフォーマンスやシンポジュウムも開かれますので、みなさま是非足をお運びくださると嬉しいです。

それでは開催案内をざっくりと...。
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Borderline Cases - 境界線上の女たちへ 
2004年6月26日(土)-7月17日(土) 11:00-19:00(月曜休廊)
会場: A.R.T.
東京都渋谷区恵比寿南2-12-19

□6月26日(土)17:00-19:00 オープニング・パフォーマンス
(イトー・ターリ、高橋芙美子)
入場料:2000円(要予約、Fax 03-3207-0856 PA/F SPACE)
20:00- オープニング・パーティー

□6月27日(日)14:00-17:00 シンポジュウム
「Co-responses on borderlinー境界線上に立って、互いに応答する/日韓女性の アートと心」
場所 慶應義塾大学 三田キャンパス 北館ホール(参加無料)
〒108−8345東京都港区三田2ー15ー45  電話: tel.090-8844-7079(嶋田)
李静和(成蹊大教授、政治思想)、池内靖子(立命館大教授、演劇論)、レベッカ・ジェニスン(京都精華大助教授、女性学)、笠原美智子(東京都現代美術館学芸員)、パク ヨンスク(写真家/韓国)、ユン ソクナム(造型作家/韓国)、イトー・ターリ(パフォーマンスアーティスト)
主催:慶應義塾大学21世紀COE人文科学研究拠点(表象B「芸術学」班)
   Borderline Cases実行委員会

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展覧会情報のURLはこちらです。
http://home.interlink.or.jp/~reflect/borderlinecases/
アクセスは面倒〜、という方は、「続きを読む」の方に、プレスリリースを掲載していますのでお読みくださいませませ。

*

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2004.06.09

『美の巨人たち イ・ジュンソプ』5月29日放送分

かなーり前の話で恐縮だが、去る5月29日、『美の巨人たち イ・ジュンソプ』を観た。
私の知る限りは、この番組で朝鮮半島の作家を取り上げるのは、初めてだ〜、と思って、番組のサイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/
で調べてみたら、本当にそうだった。
実際、番組中に出てくるお約束の「語り部」にも、
「日本人は韓国の文化を殆ど知らない、ましてや イ・ジュンソプ などという作家を知る人が一体何人いるだろう...」
と言わせていた。
おいらも心で「そーだ!」とつっこんだ(笑)。

イ・ジュンソプは、韓国では「国民画家」といわれる代表作家のひとりに数えられている。
もちろん、私も彼の作品の大ファンだ。
特に番組中でも紹介された、家族、蟹などをモチーフにした作品のシリーズが気に入っていた。
しかし、正直なところ、今回のテーマ作品である『黄牛』をはじめとした「牛」のシリーズには、それほど関心がなかった。
静岡県立美術館で99年に開催された「東アジア/絵画の近代−油画の誕生とその展開」展に、牛シリーズの1点『白牛』が展示された時は会場で観ていたが、彼が「牛」というモチーフに格別の思いを抱いていたことは、恥ずかしながら、私もこの番組で初めて教えられた。

番組では、短い時間の中で、彼の生い立ち、日本との関わり、解放から朝鮮戦争に至る流転生活が、丁寧に描かれていたと思う。
彼が朝鮮半島の民衆、その悲しい現実と、苦難を乗り越えようとする生命力に寄せる思いは、牛−朝鮮半島に土着の「韓牛(ハンウ)」−の姿に託されていた。
また、彼の家族に対する愛情、平和なくらしへの願いは、蟹と子どもの小品シリーズに表されている。
これも、朝鮮戦争で済州島に疎開していた時、海岸で小さな蟹を捕って食料にした、という彼の辛い体験に基づいているという。
彼は日本留学時代に知り合った日本女性と結婚し、朝鮮(現在の韓国地域)で暮らしていたが、朝鮮戦争が激しくなったことで、妻子を日本に渡らせ、晩年は孤独だった。
そのギリギリの状態で描かれたのが、『黄牛』だったそうだ。
番組中では、東京在住のイ・ジュンソプの息子にも取材し、彼が家族に送り続けた手紙も紹介された(これは日本でも有名だが..)
イ・ジュンソプという、一人の朝鮮人画家を通して、数十年前の朝鮮にあった、熱いクリエイティブ魂を紹介したことももちろん、あの当時、日本と朝鮮を越えた家族愛があったことを表現してくれたのも、この番組の成果のひとつではないかと思う。

全体に、個人的にはよくぞここまでやってくれました!と涙がちょちょぎれる(まじです)ほど素晴らしい構成だったが、またまたひとつだけ文句タレをば。
番組中で「国立現代美術館」と紹介されていた、徳寿宮の美術館ですが、実際にはソウル郊外の「国立現代美術館」の「分館」という扱いになってます。
ちなみに、大まかには本館は現代作品、分館は近代作品、と展示が分かれているので、ここに行ってもナムジュン・パイクの作品は、多分、ないです(汗)。


#それでも、個人的には「蟹と子ども」シリーズの方が好きなんだけどな...。
そこには、やっぱり「牛」に対する朝鮮民族独特の、無意識的なイメージなり、思い入れがあるんでしょうね。

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2004.05.18

『小さな箱』のつづき:神奈川県立近代美術館の個人的な思い出

『小さな箱 鎌倉近代美術館の50年 1951-2001』を読んでいたら、
(http://gozar.cocolog-nifty.com/meongmoengi/2004/05/_50_19512001_.html)
「鎌近」にまつわる個人的な思い出がいろいろと浮かんで来て、本の感想とごっちゃになってしまいそうだったので、項目を改めてまとめてみることにした。
書評のアップから時間があいてしまい、少々まぬけではあるのだが…(汗)。

私が「鎌近」を初めて訪れたのは、1990年、大学3年のときだ。
それまでも鎌倉は、小学校の修学旅行(山梨県ではそうなんです!笑)や、家族の日帰り旅行などで数回来たことはあった。
しかし、鶴岡八幡宮まで来ているにも関わらず、美術館の存在を意識しだしたのは、上京して美術館めぐりを始めた後だった。
なので、実は「鎌倉近代美術館」という通称があったことを知ったのも、つい最近のことだ。
初めて観た展覧会は、1990年夏の「近代日本の木版画展 伝統と近代の対話」。
当時私は、大学の美術サークルで木版画にはまっており、この時も同じく木版好きな、ひとつ下の後輩と二人だった。

二人は展覧会を十分堪能し、この時の買った図録は、私の近代木版画への興味をさらに膨らませてくれる一冊になった(しかしこの時はまだ、鎌近が近代版画の研究で有名なことを知らなかった。全く浅はかな…^^;;)。

しかし、木漏れ日も爽やかなエントランスに、蓮の葉でいっぱいのテラス…、不思議な(?)中庭etc.…。
この建物、そしてロケーションの持つ不思議な魅力も、そのとき妙に心に引っ掛かった。
特に2階から1階のテラスに降りる階段、テラスの風景、中庭を廻って新館に向かう通路あたりで、妙な郷愁、のような感情がわいてくる。
自分のなかの記憶と、一体どこでかぶっているのだろう?と考えてみたが、そうだ、これって昔の「学校」の導線じゃないか!と思い当たった。
私が通っていた小学校は、戦後直ぐ建てられた木造2階建てで、北館、中館、南館、トイレ、あと宿直室や給食室が、外の通路、いわゆる渡り廊下というやつだが…、でそれぞれ結ばれていた。
それに1階の教室には、すぐ外に降りることのできる出入り口があった。
各校舎の間を行き来する時には、とりあえず一度屋外に出てまた室内に入る。
そう考えると、この手の学校建築というのは、結果的に屋外と屋内の境界がとてもあいまいだ。
少なくとも学校で生活する時間の間は、室内にいても外の空気、光の変化、中庭の草の緑や花の匂いを、常に感じられる環境に置かれるわけだ。
鎌近の階段、テラス、中庭の風景から、そんな「いつか学校にあった、あの光と影と空気」を感じてしまうのだが、それは私だけだろうか?…。

展示においても、特に彫刻、インスタレーション系作品には、空間の持ち味と見事に解け合った展示がさまざまに展開されていたようだ。
90年のあと、93年に(同じメンツで)「李禹煥」展を観に行ったのだが、その時に、テラスの片隅の隠れたちいさなスペースに、こじんまりとした石と鉄板を並べた、インスタレーションが置かれていた。
その空間に「ちょこなん」とおさまっていた小さな石の作品に、不覚ながら思わず「かわいい!」と声を上げてしまった(いや、李禹煥作品の観照態度として、叱責に値するであろうことは重々理解しております、でも…^^;;)。

『小さな箱』の中にも、テラスや池を使ったいくつかのインスタレーションの写真がおさめられているが、特に「新千年紀へのメッセージ—イスラエル美術の近代」展の、『カディッシュ ツァバールのためのレクイエム』は、実際に行って観ておけば良かった〜、と思わせる、雰囲気のある作品だ。

#しかし、毎度文句たれで恐縮だが、個人的には、2F展示会場の床面がカーペット貼りなのが気になる。先の「李禹煥」展の時に、インスタレーション作品の質感が活きないな、と感じたからだ。
(ちなみに埼玉県立近代美術館のカーペット貼りも、ちょっと気になってます、はい)

実際、現在の美術館建築のパターンからみると、ワークショップ室も来館者図書室もないし、機能的には物足りない点も目立つ。
私が館を初めて訪れた時、その背後にある業績があまり理解できなかったのも、その辺の「後れ」が目についたからかも知れない。
実際、90年代初めには目黒区美術館や板橋区立美術館など、アイディアと教育活動で勝負する新スタイルの美術館が次々登場していたし…。

そうはいっても、館の関係者の方たちが「小さな箱」と称するように、この建物と、その中に込められた空間がとても大切に、愛され守られてきたことは、館を訪れればひしひし伝わってくる。

新しい「葉山館」も、いろいろ現代的な工夫がされているが、全体に「鎌倉館」の雰囲気を残した建築になっているのが嬉しい。(なーんて、写真で見ただけなんですけどね^^;;)
過去の展覧会カタログを閲覧したり、レストランで風景を楽しんだり、ワークショップなどに参加したりと、こちらはこちらで新たな楽しみに期待したいと思う。
連れ合いが夏休み取れたら、温泉ついでに(こら)、新たな気持ちで鎌倉館、葉山館を訪れてみたいなぁ。


おまけ:神奈川県立近代美術館のサイトです、葉山館の情報もばっちり載ってます。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/index.html

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