2004.11.13

イラクでの日本人人質殺害に思うこと

イラクで人質に取られて殺害された香田さんの遺体が日本に帰ってきて、葬儀が行われた。
6月のキム・ソンイルさん殺害のことを思えば、もっと早くここで触れなければならなかっただろうと、まず反省している。

6月のことを振り返ってみると、それと比べても、同じ国の邦人が誘拐殺害されたにしては、随分とひっそりした報道ではなかったか。新潟中越地震という大災害が重なったにしても...。
もう少し溯って、外務省の派遣職員が殺害されたとき、ジャーナリスト橋本さんらのときと比べたら、報道のテンションの差は歴然だ。
もちろん、同じ内容をただ反復してテンションを高めるのは意味がないと思うし、ご遺族の心情を考えれば、大きく取り上げられることが、必ずしもいいとは思わない。
ただ、海外邦人の災禍にあたって、従来の事例よりも、あまりにもパーソナルな問題として、片付けようとしてはいないだろうか。
いや、たしかに、彼がイラクに行った経緯を聞けば、安易すぎる感は否めない。
繰り返しになるが、そういう非難にご遺族がこれ以上晒されないためにも、騒がないことが最良の配慮なことは分かる。
ただ、イラクで日本人が人質に取られたり殺害されたりすることが、政府サイドで自衛隊派遣の是非とリンクしないように意識的に処理されているような気がしてならないのだ。

大体、自衛隊を撤退させないと人質を殺すと言ってる相手に対して、脅しには乗らない、なんて速攻答えるとは、馬鹿正直も甚だしい。
国内の派兵派に媚びること、アメリカのご機嫌を伺うためなら、迷惑民間人の命は2の次、3の次っていう、本音をうっかり・いや確信犯で?漏らしてしまったわけだ。
そうこうしているうちに、アメリカではブッシュの再選、ファルージャ総攻撃と、やらせたい放題な状況になってしまった。

朝鮮日報のこのコラム
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/11/02/20041102000039.html

にもあるが、私の個人的な感覚では、日本社会というのは、他国の手本になるほど秩序ある社会で、それは素直に美徳だと思うのだが、反面、場の秩序に従えなかった者には、理由の如何に関わらず(外国人であるとか、不注意で人質になってしまったとかetc.)容赦ない罰がくわえられる社会、そんな風に、外からは思われているのではないだろうか。
日本という社会の不寛容な一面に恐怖を覚えたり、そんなことを時々仲間うちで話してみたりする、この頃である。

なお、この事件について、個人的によく読ませていただいているこのサイトの感想も興味深い。いつも私に新しい視角を示唆してくれるサイトである。
http://www.jp.piko.to/

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2004.08.15

「敗戦」と「終戦」のポリティカル・コレクトについての私見

今日は8月15日、所謂「終戦記念日」だ。
正午前後にはテレビ中継があり、高校野球はサイレンで中断、夕方のニュースでは「行った人行かない人」がニュースになる、戦中生まれを親に持つ私には、うっかり忘れようとしても、何となくむずむずとしてしまう日だ。
#しかも個人的には、ここ10年くらいは「あっ光復節(朝鮮解放の記念日)だ」とも、思い出す日になっているし...。

で、私の周りにいる友人たち、あるいは直接の知己でなくとも、私が共感する人たちの多くは、「敗戦記念日」と「コレクト」するのが、現在のトーン&マナーである。
「敗戦」を「終戦」と言い換えて、史実の生々しさから逃れ、恣意的に忘れさせる方向に、持っていく一派がいるからという理由だ。

私も基本的にはだたのヘタレだが(汗)、それでも、ざっくり分けると、そちら側の立場の人間である、と思う。
しかし、そういう姿勢でありつつ、また人前ではとりあえず「敗戦...」とコレクトしつつも、「敗戦記念日」という言葉は、私にはどうしても、しっくりこない。
それは、まだ6〜8歳くらいの頃、上記の通り戦中生まれの母親と交わした、ある会話が、ずっと引っかかっているからだ。
一体どういう脈絡で、その話題に至ったのか記憶がないが、母親が私に
「日本は戦争の時、負けていても『勝った勝った』と、ウソの発表をしてたんだよ」
という話をした。
私はこんな風に返した。
「じゃあ、ちゃんと本当のことを発表していれば、みんなもっと真剣になって、戦争に勝てたかもしれないね」
母親がたしなめたのが、あるいは母親の顔色を見て気がついたのか覚えていないが、そのとき私の中に浮かんだのは、
「そうか、戦争って、勝ち負けじゃないんだ、勝っても負けても、人は死ぬことは、変わりないんだ」
という気持ちだった。
それ以来、日本が関わったものに限らず、あらゆる戦争報道や、歴史の中の戦争に触れるたび、私の犯した「失言」への呵責が、一瞬よぎるようになった。

上に書いたことを読んでいただければお分かりいただけると思うが、私は「敗戦」というコレクト自体に反対するつもりは毛頭ない。
でも、私のなかでの8月15日は、勝敗を超えて、
「殺したり殺されたり、殺されることに怯えたり、自分の思うように生きることが否定されたり、大切なものを奪ったり失ったり、そんなことはもう、ここで一切終わらせようよ」
と願うための日なのだ。
本来なら、その「ここ」の時点は、「1945年8月15日」でなければならなかったのに、結局今日まで、地球上で戦闘行為のない日は、1日とて無かったんじゃないだろうか。

この日の式典や「参拝」は、戦争で亡くなった先人を追悼するために行われているわけだが、私の見るところ、とくに「参拝」を通じて、追悼に恣意的なものが伺えてしまう。
人類がある限り、本能的に戦争は止められない、という人もいるが、それでも戦争=愚行を止めようと思う気持ち、それが、故人に捧げられる一番の供養になるのではないかと思う。
そして、この日が、「終戦」を「祈念」する「日」になってほしいと思う、15日の雨の朝である。


#蛇足ながら、試しにネットで
『「敗戦」と「終戦」』
というフレーズで検索かけてみたら、全く逆の立場で「コレクト派」な人のサイトを見つけた。
「終戦」という言い換えは戦勝国の占領政策の産物とし(というところまでは一緒そうだが)、それを克服するために核武装を宣言し、日本独自の軍事外交・教育戦略を確立せよ、と主張していた。
なるほど、こういう考え方も、しようと思えばできるよな〜、と気づいた次第。

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2004.07.16

今週も、金剛山で南北離散家族再会

4月にも書いたが、これだけは忘れられたくないことなので、またも...。

日本では、曽我さん家族再会報道の影に隠れてしまったが、朝鮮半島ではもうひとつの再会があった。
今週2回に分かれて、北朝鮮の金剛山で、南北離散家族の再会事業が行われたのだ。
今回は、家族だと思われた二人が実は友人同士だった!?疑惑という、由々しき事件もあったが、それでも、再会の喜びと再度離別する悲しみは不変のものだ。

前に書いたとき
http://gozar.cocolog-nifty.com/meongmoengi/2004/04/rku.html
に書き漏らしてしまったが、私が、この足らぬ頭でも常々憂慮し、また寂しく思うのは、最近、日本人の朝鮮半島観にみられる「ゆがみ」のことだ。

巷では、ヨン様ビョン様云々と大騒ぎ、韓国映画の日本公開も相次ぎ、今日は『ホテリアー』の小説版がベストセラーだというニュースまで聞き、いわゆる「韓流」で大騒ぎだ。
#余談だが、わし、K-POPもメインストリームよりフュージョンジャズだし、ドラマは日本のも殆ど見ないので、実は「流れ」には乗れてません...。
それまで一般的に、韓国といえば、古くは所謂キーセン観光(激汗)に免税品、数年前まではグルメに東大門衣料市場、つまり単に「コストパフォーマンス」面のみが、強調されてきた感がある。
それがこの韓流ブームで、コンテンツの「質」、そして、そのクリエイティブ力を支える「人」の方に、関心が寄せられれるようになった。
それ自体は、「乗れてない」私個人も、とても嬉しいし喜ばしいことだ。
「何かに取り組む人」に関心が向くということは、「人」への敬意、そしてその「社会」への理解を、育てる元になると思うからだ。
韓国の人、そして社会が広く理解されることで、日韓の人たちがより対等に、素直にコミュニケーションできるようになることを、願いたい。

しかし一方、その韓国と対をなす、北朝鮮に対して、日本の視線はどうだろうか。
ひどい国、悪い国、不幸な国、洗脳されてるっぽい国etc.、...どうにも、「敬意」「理解」「対等」という類の言葉とは遠いようだ。
もちろん、北朝鮮の秘密主義、軍国主義、民衆の惨状は事実であるだろう。
その一方では、拉致問題の流れで、経済制裁を求める声が強く、核問題から、率直に北朝鮮を恐れている人も多いはずだ。
でも、果たしてそれ「だけ」でいいのだろうか、北朝鮮への視線は。
今沢山の人が大好きな「韓国」と、分断されてできた国だという歴史に、(当局あるいはマスコミも、多分めんどいので、)意図的に目をそむけていないだろうか。
例えば、韓国映画には、『JSA』『シュリ』らのように、直接南北問題を取り上げた作品、また『猟奇的な彼女』のように、コメディーでも、主人公が兵役明けという設定が暗に登場するものもある。
それらは、確かに南北が抱える問題の一端、また「韓国」人の対北観を反映しており、日本人もそれらに共感することはしている。
だけど私が言いたいのは、そこからもう一歩踏み込んで、今の日本にある、「韓国」への視線と「北朝鮮」への視線、その二つのあいだにある、結構深刻な矛盾のこと、またこうした意識の乖離は、何故起きるのかを、考えてみる必要がある、ということだ。

それは、朝鮮半島とさまざまな形で歴史的に関わってきて、現在それがある意味かなり緊密になりつつある状況の中で、私たち(個人の文章で「一人称複数」を使うのは抵抗があるんですが、今回敢えて...)一人一人の心の中にある「ゆがみ」を、もういちど見つめ直す作業をしてみてください、という、私の勝手な(汗)願いでもある。
南北離散家族について、日本でも広い関心がもたれることが、その一助になれば、と思うこのごろである。

我ながらとりとめない文章にて失礼...。

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2004.07.06

「両性の平等」を定めた憲法24条の改悪

えと、「今週の佐々木信也」とか(汗)「Borderline Cases」展のその後とか、先に書くべきことは大いにあるのは重々承知なのですが、取り急ぎカッと来てるのでアップします。

今日、メールで回ってきた「憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案)」の問題点に関する文章です。
転送のそのまた...てな感じで回してるうちに、発信源がいつのまにか消えてもーたみたいなのですが、ひとまず「ご立腹」せずにはおれませんでした。
既に先月発表されたことで、早くから反応されてる方もいらして、
http://fb-hint.tea-nifty.com/blog/2004/06/post_6.html
若干出遅れてる感もありで恥ずかしいのですが...。

以下転載============================================

> ★緊急事態!投票日までにひとりでも多くの女性に伝えてください★
>     「現実にあわせて憲法を変える」⋯女性差別も!?
>  「両性の平等」を定めた憲法24条の改悪が検討されています!
>
>
> 6月10日に発表された自民党の「憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案)」
>
(http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm)
> は、「家族や共同体の価値を重視する観点から」両性の平等を定めた憲法24条の
> 見直しを示唆しました。
> 政治家の女性差別発言、荒川区など自治体での男女共同参画へのバックラッシュ、
> 性教育・ジェンダーフリー教育への攻撃などが、ついに政権党から改憲案として
> 出てきました。ほとんどタリバーン化。緊急の事態です。
> 「家族は社会の基礎」として個人の権利を否定するような改憲案が通れば、少子
> 化対策や DV対策、男女共同参画計画などにおいて、すぐに深刻な影響が出てくる
> でしょう。もちろん女性のリプロダクティブライツを否定したり「ジェンダーフ
> リー」バッシングをしているのは、自民党だけではありません。ぜひジェンダー
> 平等を今度の選挙の争点にしましょう。
>
> それにしても選挙直前にこんな案を公表するとは、女性有権者をナメきっている
> としか思えません。7月11日の投票までに、ひとりでも多くの女性・男性に、私た
> ちの権利を奪おうとするたくらみを伝え、24条改悪を阻止しましょう!
> 現在、有志による「 STOP!憲法 24条改悪キャンペーン」を立ち上げ、共同アピー
> ルの発表や、全国で緊急行動を展開することを計画しています。ぜひみなさんの
> ご意見、アイデアをお寄せください。

===================================================

で、私も読んでみました、「憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案)」。
もう最初から最後まで、わざわざおいらをを怒らせるために書いてるとしか思えない文章!

まず、全体を通じて「日本国家のアイデンティティ」「愛国心」「公共心」が串刺しになってますが、まあこれは今更って感じなので驚きませんが。

問題は次。

   ㈼ 各論
   一 前 文
   1        共通認識
   現行憲法の前文については、これを全面的に書き換えるものとすることで、異論はなかった。
   2        前文に盛り込むべき内容
   前文に盛り込むべき内容に関する意見は、次のとおりである。
   ○       現行憲法の基本原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は、今後ともこれを堅持していくべきである。ただし、「基本的人権の尊重」については行き過ぎた利己主義的風潮を戒める必要がある。また、「平和主義」についても、現行憲法9条の見直しを反映させ「一国平和主義」の誤りを正すとともに、国を挙げて国際平和を推し進める姿勢を強調するなど修正が必要である。
(※引用中の文字化け、空き等はそのまま、以下同じ)

あのう、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を、あの前文を変えて、どうやって表現できましょうか。
しかも、「行き過ぎた利己主義的風潮」が、何を指しているのか、全然分かりません。
というか、「利己主義的風潮」が、憲法の所為だというその根拠も、でんでん分かりません。

その間の文章にもいろいろ文句はありますが、きりがないのですっ飛ばして、

   四 国民の権利及び義務
   (※中略)
   3 公共の責務(義務)
   公共の責務(義務)に関する意見は、次のとおりである。
   ○       社会連帯・共助の観点からの「公共的な責務」に関する規定を設けるべきである。
   ○       家族を扶助する義務を設けるべきである。また、国家の責務として家族を保護する規定を設けるべきである。
   ○       国の防衛及び非常事態における国民の協力義務を設けるべきである。

あのう、いまの社会って、そんなに社会連帯・共助ができてないですか?
街をぶらぶらしてれば、ちょっと困ってる人に声をかけて助けてる人の風景を、よく目にしますけど。
ましてや、近鉄存続署名運動から始まって、イラクのモハマド君への寄付、または阪神大震災のような「非常事態」に至るまで、困ってる人に手をさしのべている人は、今でもたくさんいるんですが。
もうひとつ、「国家の責務として家族を保護する規定」って、それって家族のいない人、家族を作ろうとしない人は、保護されないってことですか?ちょっと待ってえな〜。

   4 見直すべき規定
    上記の2・3とも一部重複するが、現憲法の運用の実態に照らし、権利に関する規定を見直すべきとする意見は、次のとおりである。
   ○       政教分離規定(現憲法20条3項)を、わが国の歴史と伝統を踏まえたものにすべきである。
   ○       「公共の福祉」(現憲法12条、13条、22条、29条)を「公共の利益」あるいは「公益」とすべきである。
   ○       婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。
   ○ 社会権規定(現憲法25条)において、社会連帯、共助の観点から社会保障制度を支える義務・責務のような規定を置くべきである。

そう、これが問題の24条改悪!なあんで?
どういう風に考えたら、家族や共同体の価値を重視すると、両性平等じゃない方がいいって結論になるのよ!
現憲法は、家族や共同体をよりよくするために、両性平等を選んだんじゃないのかい?
ちなみにこれって、女性だけの問題じゃないですよ。
だって、男性の方が法的に有利になるとは、この文中どこにも書いてないんだから(苦笑)。

あと気になるのは、

   六 司 法
   (※中略)
   3 今後の議論の方向性
   司法のあり方については、一部に、常識に反する裁判をしているとの国民の批判を招いていることを踏まえ、司法制度改革を推進しつつ、今後とも検討を進める必要がある。同時に、司法への国民参加という観点から憲法に何らかの規定を置くべきかどうかについても、今後の検討課題とすべきである。

この「常識に反する裁判」ちゅうのが。よく分かりません。
書き手的には、「靖国参拝違憲判決」とか、そういうのを当てはめて欲しいんだと推測しますが、少なくとも最高裁の裁判官は国民が選んでるんでしょ。
その辺、もっと国民の意見聞いたらいいやん。
裁判員制度が良いのかどうかは、個人的には判断しかねるけど、裁判官が常識的(=良心的、とはいえないと思いますが、必ずしも)かどうかみんなが判断する機会でも、あるんじゃないの?と思うんですが。

以上、いつも書いてることですが、ほんっとうに主観的に言わしてもろてます。
前にもどこかで書きましたが、今の憲法は、私にとっては、両親が新制中学で教わって、そのコードが根底にある社会のもとで育ててもろて、自己実現し、社会と繋がって、今に至ったものであり、それを否定されると、私の価値観を否定されたような気分になるんですわ。
もちろん、憲法に関する論議を聖域化したいとかとは、さらっさら思ってません。
ただ、この「憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案)」を、これからの社会のコードとして認める気にだけは、ぜんぜんなれないよ、というだけです。

7月11日には、この怒りを投票用紙にぶつけてやるぜ!(汗)

追記:
今日、「HEY×3」で佐野元春が新曲「国のための準備」を歌った。
「家族とか大切な人を心に留めて/美しく見える話には裏がある 」
っていう歌詞、まさに、今日私が上に書いたこと、「家族を護る」ことの暗部を、バチコーン!と突いてくれたぜ!
さすが元春兄貴、22年あなたに付いてきたことを、今日ほど嬉しく思ったことはありません!(笑)

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2004.05.12

今さらながら、松坂屋大阪店閉店の話

少し前の話しで恐縮だが、この前読んだ本『絵とき 百貨店「文化誌」』
http://gozar.cocolog-nifty.com/meongmoengi/2004/04/_.html
でもちらと話が出ていた松坂屋大阪店が、5月5日で閉店した。

私は生まれも育ちも関東もんで、関西の地理や文化に関するセンスは正直、たりない(笑)。
ただ、就職してから数年間、出張や人の結婚式などで、大阪を約年1ペースで訪れてはいたので、繁華街や電車路線、人の流れなんかは大体分かってるつもりだ。
しかし、正直、京阪電車の天満橋に松坂屋があったなんてことは、本を読むまで全く知らなかった。
このニュースを聞いた時、天満橋と淀屋橋がごちゃ混ぜになって、京阪淀屋橋のあのビル(FM802の真ん前なので知ってる)が、松坂屋だったのか?と思いっきり勘違いしてしまったくらいだから…。
たしか天満と天満橋あたりは、大阪ではギャラリーの多いところで、それなりにぐるぐる歩いたこともあったのに、松坂屋には全然気がつかなかったしなあ(汗)。

どうして閉店になったのか、という詳細は、下記の読売テレビの『ニュース スクランブル』の特集
http://www.ytv.co.jp/ns/special/bn/2004/04/040430.html
がとても分かりやすかった。
要は、京阪の始発駅が天満橋になると思って、松坂屋が日本橋から移転してきた途端、淀屋橋まで路線が伸びてしまった(しかも、京阪はあくまで本社のある天満橋の開発にこだわった)ので、天満橋の乗降客数が増えず、経営が苦しくなった、ということだ。
しかも、閉店したと思ったら、もうすぐ新しい路線が天満橋を通り、天満橋が乗換駅になるというのが、何とも皮肉な話だ。

デパート関連の情報サイトで、今も残っている松坂屋大阪店に関する書き込みを読むと、「梅田ほど人ごみがひどくないので、家族でゆっくり過ごせていい」「ジュンク堂が広くていい」などと結構好評だし、地下食のテナントもそれなりの店が出ていたらしい。
私も、前の「東急日本橋店」みたく、それなりに充実してるけど空いてて静かな(大汗)百貨店って、個人的には好きなんだが…。
いずれにしても、前の「有楽町そごう」みたく、オフィス街でピンでやってて、かつ体質的に「老舗呉服店系」のデパートって、やはりきついんだろうと思う。
しかし、戦前から営業していたわけだから、外商でずっと頼りにしていたお得意さんも少なくないだろうし、彼らにしてみれば、不便だし淋しいことなんだろうな。

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2004.04.02

金剛山で南北離散家族再会

10数年前に数回行われたままそれきりになってしまった、南北朝鮮の離散家族(主に朝鮮戦争で生き別れになった)の再会事業が再開されたのは、あの「南北首脳会談」が開かれた2000年の夏から、だったかな。
南北の対象者を、それぞれの出身地側に送って行われた第1回の再会事業は、たしかNHKのBSでも、朝から訪問団の出発や到着、再会シーンを、ずっと中継していましたっけ。

最近(とみに「9.17」以降…このことは後程)日本の媒体でそれが映る機会は激減してしまいましたが、金剛山観光ルートの開通以降、断続的ですが再会事業は続けられています。
今週、離散家族の金剛山訪問団が2回に分けて出発し、家族の再会を遂げているようすが、KBSのニュースで紹介されているのを見ました。

私の韓国の知人にも、「離散家族」ではないのですが、もともとは北側の「黄海道」出身で、朝鮮戦争でソウルに逃げてきた、所謂「失郷民」といわれる人がいます。
留学時代に保証人をしてくれた方の母方のお爺さんで、今年86歳くらいになるでしょうか。
そちらに住んでいた頃は、現地の尋常小学校(そういう時代のお話です)の教師をしており、日本人教師との給料の差に憤慨し校長に抗議したかと思えば、同年代の日本人の先生と親友になるなど、いろいろと若いエネルギーを燃やして(?)おられたらしいです。
話を聞くうちに、私がその「日本人の先生」と同郷であることがわかり、思いがけず「彼を探してほしい」と頼まれてしまいました。
しかし、地元の人脈に明るい父のお陰で、1ヶ月ほどで「先生」はお元気でおられることが分かり、無事連絡が撮れました。
二人は年齢上、体調もあるのでゆっくりゆっくりとですが、その後ずっと文通を続けておられるそうです。

以下、私の勝手な想像(妄想?苦笑)ですが、もし二人がもう少し若かったなら、直接会って互いに向かい合い、お互いが当時、朝鮮と日本とをどのように思っていたのか、偽りなく語り合う時間が持てたことでしょう。
その「語り」は、きっと私たちがこれから、日本と朝鮮を考えるための貴重な手がかりになったはずです。
そして、南北が統一に至らなくても、せめて今、もっと自由に往来ができたなら、二人が共に手を取り合って、青春時代を過ごした黄海道を、もう一度訪ねることができたでしょう。

日本と、朝鮮半島の南側と、北側。3つの地域の複雑な歴史の中で、人間が生き別れになる悲しい事態が、さまざまな形で起きてきました。
今、北朝鮮による日本人拉致問題は、被害人数の正確な確認、家族との再会、真相究明など、一刻も早く着実に進展されなければならない問題なことは言うまでもありません。もちろん韓国での拉致問題も全く同じです。
そして、南北の離散家族再会もまた、生き別れになった家族を、生きているうちにもう一度会わせなければならないという意味では前2者と全く同じ、まさに命そのものの問題でしょう。
もちろん、訪問再会自体、南北問題の根本的な解決とは決していえませんが、再会者名簿にエントリーされながら訪問前に亡くなられた人、健康上の理由で訪問できない人などが続出する現状で、現実問題として原則論をどうこう言ってる時間がないんです。
私も、二人の老翁のことを知ってから、その「焦り」を、より身近に考えるようになりました。

先にも少し触れたように、特に「9.17」以降、日本の朝鮮半島報道が、どうしても南北の融和に対して懐疑的な雰囲気となり、それに伴って離散家族再会事業も、触れにくいトピックになっているのかもしれません。
私も、拉致被害者当事者方の希望や事情が、より広く理解され優先されるべく、できる限りの便宜が図られるベきだと、もちろん思います。
ただ、日本の人たちが彼らに寄せる思いと同じように、南北離散家族や失郷民ひとりひとりが背負うビハインドストーリーが、日本においてもより広く理解され、近くに感じることで、3つの地域と人々ががこれからどうすれば/どうなれば良いのか、より広い視点に立って考えることができるのではないでしょうか。
こうした問題(具体例としては、離散家族問題ですが…)がメディアで再度取り上げられる機会が、今後もう少しでも増えてくれれば、と感じた、今日のKBSニュースでした。

最後に、その黄海道の元先生は、日本に一度も来られたことがないのに「上野公園の桜は大変見事だね」というのでなぜ?と聞いてみると「授業で生徒にそう教えたんだよ、一度直接見てみたいものだ」と仰っていました。
毎年この季節、埼京線沿線の我が家の窓から、桜の古木を見下ろす度に、彼のこと、旧友の日本人先生のこと、そして未だ別れたままの人たちのことを、改めて思い返します。


いい加減ど長文だけど、どうしてもの追記(4月3日):
今回の再会事業で、2日「南側の担当者に、指導者を批判する発言があった」との理由で、北側がその日の公式日程を一切キャンセル、夜通しの協議の末、3日の「お別れ会」を2倍の時間にすることで妥結する、という事件がありました。
生きて二度と会えないかもしれない人たちの貴重な時間が、まるまる1日奪われたということです。
このことに限らず、世の中で、人の命が、体制や主義主張や下らんメンツなんぞの担保にされるようなことは、金輪際止めていただきたい。

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2004.03.29

親切丁寧な韓国選管委のサイト(笑)

ご存じの通り、韓国では大統領弾劾云々で、激しく政界再編(ちゅうか内輪もめ…)が渦巻いてますが、モトをただせば4月15日の総選挙に全て起因してるわけで…(汗)。
いよいよ、31日〜4月1日に小選挙区と比例代表の立候補者受付、4月2日から選挙運動が始まりますが、それに先立って国内では、選挙区ごとの支持率調査や、各党の比例代表の順位発表などがいろいろ話題になってます。

で、先日KBSのニュースを観ていたら、選挙に関する広報関連を仕切る「中央選挙管理委員会」のサイトが紹介されてました。
何気なく覗いてみたのですが、このコンテンツが何というか
「まあ、そこまでやってくださるのですね〜、うるうるj_j」
と言わんばかりにご親切かつ懇切丁寧、かゆいところに手の届く、サービス満点な作りになってるのです。

http://www.nec.go.kr/
(ちなみに一応英語ページもありますが、こちらは組織のアウトライン紹介ばっかで、全然つまんないですよ^^;;)

例をあげると…
 ●各政党別の政策プレゼン
 ●政治行政/経済科学/統一安保/教育社会/のジャンル別に、各ジャンル別40項目くらい(!)ずつ具体的な質問を各政党にぶつけ、それぞれの回答を掲載しているページ
 ●政党別「10大公約」
 ●地域別公約
 ●候補者の個別公約
 ●候補者の個別情報公開(寄付金額など)
など、投票に必要な情報を、これでもかと(!)事細かに公開してます。

さらに「2004総選特集」と称した投票奨励系お楽しみサイトもあって、そこでは
 ●「選挙ソングビデオ」のflashデータつきメール送信ページ
 ●公募している「選挙パロディポスター」の公開
 ●アイドル歌手総動員の「清潔な選挙コンサート」の案内
 ●選挙広報キャラクターになったアイドル「チャン・ナラ」と「ピ(<これが芸名なんです、ちなみに朝鮮語で「雨」の意)」のスクリーンセイバー配布
などなど。
中でも「選挙広報CM、韓国映画パロディシリーズ」は、元ネタを知ってる人なら爆笑ものの出来映えです。

要するに、若者の投票率を1%でも高めるための、涙ぐましい努力がありありなんですが(泣)。
韓国では日本と違って、政党や候補者のインターネットサイトは運動期間中でも更新OKだし、もちろん極端な中傷合戦や虚偽記事などは許されませんが、とにかく運動期間中はネットの掲示板も燃え燃えに盛り上がります。

韓国で現在のような総選挙が始まったのは、地方分権が進められた1995年からとまだ歴史が浅く、また都市部と僻地の情報格差も激しいことから、ネットを使っての選挙運動は、日本のそれ以上に切実なニーズがあってのことなんでしょう。
しかし、ここまでネットの情報を充実させてしまうと、日本市民の感覚としては
「選挙のような公的な行事で、ネットワーカーとそれ以外の人との情報格差があまりに進み過ぎたら、良くないんでないやろか」
という老婆心も起きてしまうのですが。
こうなると、若いネットワーカー層と年輩の非ネットワーカー層との間で、選挙そのものへの姿勢や活動スタイルに至るまで、さらに乖離が進んでしまいそうで、それもどうかと思うのです。

#いや、私も個人的には、日本の選挙でも、ネット利用をもっと自由にしてほしいと思ってるんですけどね。

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2004.03.18

大統領弾劾騒動その後…

この話ばっかりしてると、最近の身近な話題にとりかかれないので、ここまでの状況を、個人的にちょっとまとめてみます。
いや、みなさまのお役に立つようなものでもないですが(笑)。

●野党、高建権限代行に協力を約束して(訳:もみ手で懐柔策をとって)国会開会を要請、でもウリ党からは総スカン、しかも「選挙で国会どころではないんじゃん?」とツッコミ入ってとん挫の模様。

●ハンナラ党、支持率低下に焦って「この際弾劾を取り下げよう」という意見出るも、当然「そんなハンパやってんじゃねえ」と反対意見出て、これもとん挫。

●大雪で、警察の助けを借りて復旧作業に励んでいた被災農民、警察が官公庁の緊急警備で引き上げてしまい、農民は「うちらの被害なんかどうでもいいんかい」と不満噴出、避難ごうごう。

●弾劾反対運動に動く「進歩」(革新)陣営の市民団体、組合、それらをまとめる「民主労働党」。ところが、最近の政党支持率調査で、弾劾反対支持の無党派層が与党「ウリ党」支持にまわってしまい、民主労働党は弾劾反対運動をすればするほど支持率が落ちてしまうという、きつい自己矛盾に突入…。

●とりあえず、公職に関わることが出来なくなって、久々にヒマ状態の廬大統領。私的な活動は制限されないが、弾劾裁判の弁護団と打ち合わせしたり(このへんは元弁護士だからお手のものか?)する他は、歴史書を読むなど「自習」に励むことにしたとか。


…ところで、ひとつ気になることが、今日のニュースで報道されていました。
弾劾の是非について、賛成/反対各派がそれぞれにデモをくり返しているというニュースの報道について、言論監査関係の市民団体が「デモの実際の規模は、弾劾賛成派のそれは反対派の1/10程度であるにも関わらず、ニュースでの扱いの大きさが同じなのは、行き過ぎた中立主義だ。民意を反映していない」という声明を発表した、とのこと。

たしかに、現状私は、韓国社会のこうした実態について、ネットやTVニュースなど、現場以外のところから情報を得るしかないわけで、私の中のイメージと実態が著しく懸け離れているのではないか、という危惧は常に持たなければなりません。
もちろん、これは海外のことに限らず、日本でのニュース報道、メディア全体にも共通の問題でしょう。
ある事象を紹介する時の切り口、取材者の主観、写真のイメージなど、事象は、メディアを通過して私たちの目に届くまでにさまざまに屈折しているはずです。
(「観光地の名物なんたらの像」が、実際見に行ったらとてもセコかった、みたいな例とか…)

もうひとつ、このトピックでの問題点は、報道は中立主義であるべきなのか、民意(=声のデカさ)を反映するべきなのか、という点ではないでしょうか。
#韓国でのデモ報道の問題は、報道の姿勢が「弾劾反対派=特定の進歩陣営の行動である、というイメージを植え付ける恐れがある」という点なので、ちょっとややこしいのですが…。
個人的には、報道には、声の大小にかかわらず、多様な意見をできるだけ多く救い上げて欲しいと思っています。
よく「新聞には主張があるべきだ」と言って、メディア、とくに新聞は「社説」での個性化をとても大事にしてますけど、私としては、まずは人が考えるための「素材提供」の役割を大事にしてほしいなと考えます。
中立とかどっち寄りというのではなく、より多くの声や視点を提供してほしい、というのが、自宅個人営業で地域社会にもあまり根をおろしておらず、でも世間万事の行く末にはまあまあコミットしたいと考えている結構勝手な人間(私)の、メディアに求めるところであります。

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2004.03.13

韓国廬大統領弾劾についてあれこれ

既に何人もの方が記事をあげられ、関心のある方は一通り状況を把握されてるかと思います。
ので、私からは、一応「KNTV」のKBSニュースで直接状況を見てる立場から、いくつか…。

まず、韓国民の殆どは「もう、政治家どもはしょうがねえなあ」とかなり醒めてるはずです。
そりゃそうです。
ただでさえ大雪で雪害続出、特に農業は大打撃を受けており、一刻も早い援助と復興が火急の課題なのに、国会は手前らのシーソーゲームと、党内の路線争いばっかり。
選挙まであと一月というのに、各党の公約が全然見えてこないから、お陰で各党の新人候補は、なかなか広報活動に入れず「これじゃ新人が不利じゃん」と不満続出。
だからというか、昨日あたりの世論調査では、弾劾不支持が全体の3/4、このままでは「クーデター失敗」といわれてもしょうがない。
市民としては、今日からプロ野球のオープン戦も始まるし、サッカー五輪予選(のイラン会場に女性サポーターが入れるのかの是非問題)もあるし、対岸から観るよりも「政治ばっかりにかまけてられない」状態なのでしょう。

そうはいっても、一応公安関係の各所には警戒体制の支持が出ているので、あんまり予野の支持者同士の対立が激化して、妙にピリピリした状態になって、が市民生活に制限のかかるような事態になることを、まあないだろうと思いつつも、頭のどこかで危惧してる自分がいたりします。
#何しろ、個人的には秋に光州ビエンナーレ観に行く予定なんだから、万一外務省から渡航制限なんか出されちゃ困るの!(勝手)

次に、これから暫くは結構大事なはずなのに、海外ではあまり注目されてないのが、職務代行になった高建首相の舵取り加減。
閣僚やソウル市長(日本でいえば東京都知事くらいの権限ですな)を歴任してきた、要はW杯前のソウルの都市整備の陣頭指揮を取って来た、相当やり手で切れ者風のお方です。
廬大統領が「信任投票」の(爆弾)発言をした時、こんなことなら責任をとって閣僚総辞職だ、と言い出したこともあるくらいだから、いきなり路線変更はしないでしょうが、外交問題などで各国主脳と渡りあえる力がどのくらいあるのか、彼の「今後の進路」も含めて大いに関心あるところです。

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