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2004.09.23

『日本近代美術論争史』(正・続2巻)中村義一著

タイトル:『日本近代美術論争史』(正・続2巻)
著者:中村義一
出版社:精興社
定価:各2500円
初版:昭和56年4月(正)、昭和57年7月(続)
ISBN:4-7630-8106-3(正)、4-7630-8210-8

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「近代」の「知識人」が「美術」を「論争」した記録の本である。
まずもって、難しくないわけがない!(笑)

本書で取り上げられた「論争」は、日本人に洋画は描けるのか?といった、近代日本の始まりの頃のお話から、裸体画の問題、西洋建築の受容と消化、 戦争画の評価をめぐる問題まで、またあるいは、特定の数名の個人的な論争から、かなり多くの知識人や世論を巻き込んだものまで、と多岐に渡る。

本文は、内容も限られたページ数の中、各論争について、事態を淡々と追い概略的に描かれている。
(もちろん、各項についてより詳しく知りたい人のために、参考資料などはとても丁寧に記されているが)
しかし、2冊を通して読むと、100〜50年前の日本人が、海の向うからやってきた「近代」を、どうやったら自分たちのものにできるのか?混乱と格闘の記録集!みたいな、なかなかの読みごたえを感じる。

そうはいっても、隅から隅まで読むと脳味噌メルトダウンしそうなので(@@;;)、取りあえず、自分が関心ある分野の項目を選んで読んでみた。

(読んだ項目、正編)
●大正アヴァンギャルドの青春−前衛美術論争
●傷だらけの美術運動−プロレタリア美術論争
●美術批評の指導力−美術批評論争
●日本近代美術の帰結と出発−リアリズム論争

(同、続編)
●『白樺』近代主義の争点−「絵画の約束」論争
●大都市芸術の目覚め−建築芸術論争
●民衆美術運動の<哲理>−自由画教育論争
●もう一つのシュルレアリスム−超現実主義論争
●美術史の空白と暗黒−戦争画論争

大体、この辺が私の興味とシンクロし、あるいは当たらずとも遠からじな部分なのだが、特に「ほほう」と思ったのは、「美術批評論争」と「超現実主義論争」だ。

美術批評論争というのは、近代日本において、作品をつくる作家というシステムが定着するに従い、じゃあそれの紹介なりその良し悪しを語るときに、語るにふさわしい人材とは何なのか?どのように語ることが望ましいのか?という問題を巡って、作家や美学者、新聞記者(マスコミ、と言えるでしょう)などが入り乱れて論争した時期のお話である。
確かになるほど、西洋の絵画表現や彫刻表現を消化するだけでも大騒ぎなのだから、西洋の「クリティーク」という概念を、どう解釈するか、また日本の社会文化の中で表現するかだって、近代日本美術の大命題だったはずだ。
今、美術雑誌や一般雑誌、新聞、ネット上でも、何てことなく美術展や作品紹介、批評を見ることができる。
ただ、一体この文章のどこが作品と関係あるの?と言いたくなるような、超難解&意味不明な文章や(私の脳味噌レベルの問題かも知れないが)、反対に「そんな説明したら誤解してまうがな〜」とツッコミたくなるような、読む人が読んだらデタラメな記事、作品評よりも、書き手の主義主張が立ってる(というか、主義主張のために作品を利用している)文章も、よく見かける気がする。
この論争から数十年たった今、美術批評が歩いてきた道は、本当にこの道しかあり得なかったのか?
もっと多様で深い観照態度を、より多くの人に分かりやすく語る批評は、もう努力し尽くされたのだろうか?
と、改めて思いおこさせる論考だった。

「超現実主義論争」を読んで、一番感じたのは「シュルレアリスム(本文に表記を合わせてあります)」ってのは、何て難しい概念なんだということ(大とほほ)。
しかも、この論考では、日本のいわゆる「シュルレアリスト」といわれたアーティストや批評家らを巡って、その概念の有効性が大論争になったが、問題は、「日本においてはシュルレアリスムの受容は外面的なものに過ぎない」、「日本でこの論争が起こった時期、ヨーロッパのシュルレアリスム運動は既に沈滞化していた」、さらに「シュルレアリストはプロレタリアートとの関連性のため、当局から弾圧を受けた」というポイントが非常に興味深かった(また私の知識レベルが暴露...)。
しかも、公安当局が、彼らの取り締まりのために、シュルレアリスムの概念をせっせと学び、滝口修造ら理論家と取調室で渡り合っていた、というのは、今だからいえるがちょっとマヌな感じでもある(苦笑)。

「プロレタリア美術論争」「自由画教育論争」「戦争画論争」あたりは、もともと関心があり、また私の主フィールドに定めている朝鮮半島の近現代史とも大いに関わる問題なので、まあ熱く読ませてもらった。
しかしよく考えれば、「プロレタリア美術」と「戦争画」は、現在の日本社会では殆どその脈が切れた状態である。
「自由画運動」は、戦後の美術教育における根幹として認知されているものの、現在の美術教育では、さらに「観照教育」あるいは「セルフ・エデュケーション的芸術活動」が求められている状態だ。
これらは、放っておいたら忘れられそうな近代のあだ花だといえるだろうが、例えばプロレタリアのそれは、80年代韓国の民衆美術運動の過程、その総括を論じるときの鏡にもなるのではないか、と思う。

著者はただ事実の順序を綴るだけで、答えは出さない。
それでも、端々に、論争のなかに結果的に不毛だったものがあったにしても、その中で本気で芸術をやっていた先人への想いが伝わってくる。
たしかに手強い本だったが、近代日本美術の理論的な面を、網羅的に把握できただけでも、十分読んだ価値はあると思える二冊だった。

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