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2004.06.09

学校は、無条件に楽しいところではない(たぶん)

先週の佐世保の小学生殺人事件、個人的には、時事ネタに逐一反応するblogは目指していないのだが、それでもいろいろ思うところが多いのは、私も人並みに?小学生であったころの葛藤やトラウマを持っているからだろう。
こういう事件の場合、大抵少年犯罪やら少年法が云々...、という話がでてくるものだ。
しかし今回の場合、世論が単純にそこへ至らないのは、小学生生活、あるいは一般的な任意の集団生活にある葛藤が、報道に触れた一人一人のなかで、痛々しく再生されているからではないだろうか。

個人的な話だが、私は、特に小学生の頃、どちらかというと集団生活になじめないタイプだった。
手前味噌だが勉強はそれなりにできる方で、生活態度も真面目ないい子だったが、行動はトロい、運動神経ゼロ、偏食で給食が食べられないなど、クラスで厄介者扱いされる要素的にはビンゴ状態(苦笑)。
先生には好かれる方だったが、好きな先生はいなかった。
というか、内心、罰掃除やお説教のない穏便な学校生活のために、先生を上手にあしらうのも、なかなか骨が折れると思っていた(苦笑)。
あと、旧市街の中規模校という、微妙な立地の問題。
私の通った小学校は、2年の時に学区変更があって、児童数が半分に減った。
私の学年は1クラス30人ずつ3クラス、その下は40人ずつ2クラスだった。
クラス替えをしたところで、新しい友達と新しい人間関係を築くのは難しい。
失敗や争い、葛藤をリセットできないまま6年間を針のムシロの上で過ごすか、「世渡り」に人生をかけるか、どちらかが関の山だろう。
このくらい、あるいは事件のあった学校のようにそれ以下の規模だと、親同士もほとんどPTAで顔見知り、親の職業や行状、生活状態も筒抜けで、それが子どもの人間関係に影響することも少なくない。
こういう濃密な環境で(しかも学校だから、会社のように外部の社会ともあまり接触しない、内向きの状態で)6年間、1日の1/3の時間を過ごし続けたら、そりゃ、大人だってストレスがたまりやすくなるってものだ。
だいたい、小学校6年間の間で、本気で級友を憎んだことが「ない」人って、いるんだろうか?
私はあるよ、何度も、加害者の子みたいに、からかわれてマジ切れしたこともあるし。
このケースの問題は、その誰にもあるはず?の「憎しみ」が、なぜ殺害という極端な行動にまで暴走したのかが、ポイントになるのではないか、と思っているのだが。

で、そう考えると、学校、特に、自分の意志で選択できずにしかも一番長い6年間を過ごす、「小学校」という場所は、ともだち100人できるかなとか、ピッカピカのナニとか、そんな能天気で、通うだけで無条件に楽しい場所なんかで、あるわけがない!
むしろ、そういう幻想を就学前児童に抱かせること自体、無責任なんじゃないのか?「義務」教育であれば、なおさら。

前に、うちの父が不登校関連のニュースを観ていて、普段クールな彼が
「不登校なんぞ贅沢だ!俺たちの頃は、疎開先でも、青空学級でも、学校に行けたことだけで幸せだったのに」
と怒ったことがあった。
その横で私は内心
「あのねえ、あんたの娘も、ほんとは学校行くの嫌だったのよ、登校拒否児童になると大ごとになって、よけい肩身が狭くなるから、12年間この田舎町で我慢すれば、東京の大学に行けるから、それを支えにして、しょうがなく通ってただけなのよ。」
と、つっこんでいたのだが...。
この父の言葉を、改めて考え直してみた。
彼は、1934年度(昭和9年度)の生まれで、新制中学の第1期生、日本の教育が大激変する時期を過ごして、旧制の人間の葛藤も察しつつ、「青い山脈」的な、戦後の学生生活を謳歌した世代だ。
子供時代の楽しみは、小学校(国民学校か)は読書、縁故疎開先でも読書、戦後の物不足の時期に過ごした中学では読書と演劇、高校でも読書と演劇、だったらしい。
そんな彼の学生生活と、当時の社会状況を併せて考えるに、戦後すぐの学校という存在は、地域社会の中で唯一、子どもにとって「文化的で、進歩的で、自己が尊重され、かつ社会の窓として昨日した装置」だったのではないだろうか。
当時の学校では、子どもは家庭の労働から解放されるし、授業は知的好奇心を満たしてくれるし、かつ家庭では見聞することのできない情報(楽器や実験道具、図書館の蔵書など)を提供してくれる、さらに「先生」は地域の文化人で、新しい価値観を教えてくれる存在だっただろう。
そりゃ、無条件で楽しい、魅力的な場所だったに違いない。

しかし、現在の学校、特に小学校はどうだろうか。
子どもは家庭にいても、必要以上の労働から解放されていて、知的好奇心を満たしてくれ、社会の情報や新しい価値観を提供してくれる(もちろん娯楽も提供してくれる)メディアに常に接している。
現在の子どもにとって、学校は、うちの父親の世代と同じような存在意味はないなずだ。
もちろん、社会生活の基礎的な知識やルール(前向きな意味での世渡り術)や、一般教養の教習所として、また教育機会の平等の原則として、学校は必要な場所だとは思う。
ただ、今の学校は、外の実社会と比べてみると、あまりにも「閉じた濃密な小社会」として、子どもの日常を支配してしまっているのではないだろうか。
そうなれば、ネットという、家庭でも学校でもない、開かれたコミュニティに惹かれることも当然だろう。
#これは、大人でも子どもでも同じくだが...。

長くなってしまったが、じゃあどうすりゃいいのと言われれば、子どもにとっての、学校というコミュニティ、学校という価値観の比率をすこし減らして、別のコミュニティ、というか居場所を、できるだけ多様なかたちで作ってやることではないかと思う。
いくら「総合学習」を実践したところで、メンツと場のオキテが変わらない以上、学校に多様な教育サービスを求めるのは、どうしたって無理があるだろう。
その他のコミュニティでの体験(もちろん有形無形に精神的な滋養になる)を通じて、学校を「義務教育の場」とある程度割り切って、学校という価値観と、冷静なつきあい方ができるようになるのではないだろうか。
#ていうか、「学校5日制」の土曜の社会学習って、そういう意味があったんじゃなかったっけ?(苦笑)

以上、近所で小学生が遊んでいるのを観ると、微笑ましいと思うより先に、トラウマを刺激されて「ちっ」と思ってしまったり、彼らの内面を勝手に推し量って、痛々しい気持ちになったりする、もとダメ小学生の、独りよがりな文句タレです。

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Comments

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Posted by: Akisazon | 2017.07.25 at 03:04 AM

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Posted by: Akisazon | 2017.07.25 at 03:05 AM

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Posted by: Akisazon | 2017.07.25 at 03:06 AM

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Posted by: Akisazon | 2017.07.25 at 03:06 AM

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